一見して、男性とも、女性とも、とれる感じだった。(男性でも、女性でもないような感じだった。)
男性でも、女性でもない、インターセックスの人にとって、学会のような、宗教団体は、一般社会による差別から逃れるための避難所のような役割を果していたように思う。宗教団体は、お布施さえ納めていれば、差別は無いから、昔で言う駆け込み寺のようなものなのかもしれない。
駆け込み寺を必要としている人達が、存在する以上、駆け込み寺の存在を否定しても、仕方ないが、学会のような宗教団体は、そういった人達を経済的に搾取すると同時に、政治的に利用しているため、本質的な解決にはなっていないし、駆け込み寺を必要としている人達にとっては、踏んだり蹴ったりの結果になっている。
そのような宗教団体(駆け込み寺)に避難しなくとも済むような社会を作ることのほうが、大切であると思う。
江戸時代までの日本社会は、同性愛者やインターセックスの人に対して、寛容であったし、大らかであった。明治になってから、キリスト教的モラルを模倣(サルまね)してから、おかしくなった。
駆け込み寺など無くても済むような社会を作る事である。


たしかに宗教は一種避難所です。
弱いものが集まって出来た組織です。
でもそこをわかっていながら「お布施さえ納めていれば、差別は無いから」とありますがそれは大きな誤解であり、宗教に対する偏見と差別そして侮辱です。
日本は様々な宗教はあふれていて文中にあったような「金儲け」の宗教も多いです。しかし宗教=金儲けのように思うのはあまりにも軽率です。
「駆け込み寺など無くても済むような社会を作る事である。」とありますが、どんなにいい社会になっても迫害、イジメは絶対になくなりません。人間の歴史を見てもわかるように無くなったためしはないじゃないですか?同時に宗教もなくなったためしがありません。
社会に救済を求めること自体間違っているとわたしは思っています。
わたしは創価学会の人間ですが(あんまり熱心ではないです。)オカネをとったこともとられたこともありません。
世間の認知では「金取り宗教」のように言われていますが、学会ではいわゆる「お布施」というものは義務ではありません。申し出をして申し出が通れば納めることができるようになっています。
ちゃんと調べてから記載してくださいね。
私も学生時代に、半年か1年くらいですが、創価学会にいたことがあります。その他にも統一教会や共産党の民青同盟、「おひかりさん」と呼ばれる宗教や天理教、キリスト教にもいた時期があります。イスラムの経験もあります。宗教遍歴、思想遍歴のようなものです。
>オカネをとったこともとられたこともありません。
私も創価学会にいたときに、お金を払ったこともとったこともありません。
お布施というのは、他の宗教でも、お寺(坊主)でも、皆、強制ではなく、信者の自由意思ということになっています。入会金や会費を取る宗教もありますが、創価学会には会費もありません。
統一教会の場合は、金を取ります。金のない人は、来なくていいといわれます。キリスト教も、イタリア人のカトリックの神父だと「金をよこせ」と言います。(日本人には、こういう露骨な人は少ない。)
キリスト教は聖書に収入の1割をお布施しろと書いてあるとか言うことですが。。強制ではありません。それにお布施を1割よこせというのは、教会が勝手に解釈しているだけでしょう。自分の持っている能力を神様のために使えというのが本来の意味でしょう。(gift talent)
普段はサラリーマンで、土日に自宅を教会にしている牧師もいます。それが本来のあり方だったのでしょう。イエスは大工、ルカは医者だった等、それぞれ職業を持っていて、牧師、神父のような宗教を職業にしている人は、初期のキリスト教にはいなかったという話です。
しかしながら、宗教を職業にする人たちがいます。彼らは信者に寄生して生活するので、金儲けをするんでしょう。
仏教の場合、出家と在家の区別があります。信者に寄生する坊主が、もともとインドにいたので、事情は異なりますが、私の宗教に対する考えは、同じです。
宗教を職業とすることは、神様を金儲けのネタにしているということです。そういう人が神様を信じているはずがありません。本当に神様を信じている人なら、神様を冒涜する(神様を金儲けのネタにする)ことは、(神様を畏れる気持ちがあるなら)できないでしょう。
ご指摘のことについては、調べるまでもなく、自分で体験しています。
ほとんどの宗教では、お布施は自由意思です。お布施は自由意思と言っても、多額のお布施をすれば、ご利益がある。病気で苦しむ人に対し、お布施をすれば病気が治るとか、お布施をしないと病気が悪化するとか。。いろんな理由で信者から金を取っているのが実情です。それでも信者の自由意思です。判断力の弱っている人は、自由意思で多額のお布施をするのでしょう。
学会に限らず、すべての宗教に言えることです。
強制ではなく、自由意思だと言えば確かにそのとおりです。
自由とか自由意思とは何かが問題なのでしょう。
ブログの内容もしかり、コメントの方が気になったので。
上記のお二方は宗教に入っているとのこと、それ自体は異論はありません。自由ですし。
ただ、お二方どちらかは、熱心な信者ではない、または過去に数箇所の宗教に入っていたというのに、猛烈に批判するのはどうかと個人的に思ったのです。
前者の方は宗教に入っているけれど熱心な信者ではなくて、けれどその宗教ではお金は払ったことは無い、これはある意味当たり前ではないでしょうか。熱心ではないのだから。
崇拝し、とても熱心な信者さんは経済力があろうとなかろうとお金は気にしなくなります。
金額ではなく、感謝の心の表れだからです。
後者の方は、数箇所の宗教に入った経験があるとのこと、なぜ過去の宗教を辞めてしまったのでしょう?宗教として怪しかったから?それとも会費制、宗教活動に疑問を感じたから?それとも思想を磨くためにでしょうか。
今回ブログの方が宗教が皆弱いものからお金を搾取するのは問題だ…のような文章に猛反発しておられるような感じをうけました。
必ずしも宗教はお布施・募金を強要するところばかりでは無いようですが、真実、宗教活動する上で、宗教の輪を広めるために、セミナーやチラシのようなもの、冊子を作る、これらに必ずお金は必要になりませんか?
そのお金はどこからくるのでしょう。
自由意志でお布施をするのかもしれませんが、現実問題大きな宗教になればなるほどは全国での個別の施設が必要であり、その費用は膨大だと思います。
その建物を建てる(た)のに信者さん達に「皆様(信者さん)の多大な神聖なる布教活動により次回(今回)〜(地名)に、××館を新設することができます(またはした)(中略)。唯一神々しい←言い方には色々あると思いますが。
○○(宗教名)の世界に広める更なる一歩前進になりました。つきましてはお教えの基、心ばかりのお布施をお願い致します。しかし強制ではありません。」
大体宗教とはご先祖様か、神様、霊の教えがあり、それなりの悟りを唱えています。
私は多くの宗教は知らないのであくまで推測ですが、お教えの基…唱えられるのは大体「宗教の崇める対象・または日々の感謝・慈愛の精神・今ある自分は何がしかの因縁によって苦しめられている」ではないでしょうか。
正直一般の信者さんだけの自由なお布施のみであのようなすごい建物が建てられるとは到底思えません。
言い方は悪くなりますが『塵も積もれば』か、仮に出ているとすれば経済力のある、宗教に熱心になっておられる方の恩恵でしょう。はたまた、どこからかは…
また勧誘活動も見られますが、一定地域で信者を何人か入信させることができると、そのできた信者さんはその宗教の中での地位アップにもなるようです。「地位」何故でしょう。活動の上で必要なのかもしれませんが、なぜ位置付けがいるのでしょう。
全ての宗教がとはいいませんが、大抵はそうではないですか?
もしくは本当の何もかからない宗教が存在するのかもしれません…
人には悩みなんて持たない人はいません。その悩みが深刻であればあるほど入信しやすく、藁にもすがる思いだからです。
別に宗教批判したいわけではありません。
ただ申し上げたいのは、強制的な何かの金銭が発生するから悪徳で、そうでないのは優良と決めるのも何か違う気がしたのです。
人の弱みに付け込んで大金をせしめるというような悪徳宗教は私もあってはならないと思っています。
今回取り上げられているインターセックス自体をご存知でしょうか。
先天的なものです。様々なケースがあります。
それとは別に難病な方、体に障害があって生まれてきた、知能発達障害があった。色々な事情があって経済がきつい。
努力にも限界がある…。
そういった方々が生きにくい社会がどうなのか、たまたま健常者に生まれた方々がこういった現状を自分らとは関係ないから無関心としているのはどうなのか。と訴えたかっただけなのではないでしょうか。
社会が無関心なため、どうしようもない気持ちをどうにかしたいがため宗教に教えを学び安らぎを求めざるを得ない。
確かに一つの手でしょう。
けれどそれでよい結果になった方も、もちろんそうでなかった方も大勢いるはずです。
今回述べられたのは逃げ場が宗教だけとしてではなく、社会一貫として何か弊害がある方がたの生きづらい社会に、社会全体がもっと関心を寄せるべきではないか…と、つまるところブログ者様は書き込んでいるように思えます。
>たまたま健常者に生まれた方々がこういった現状を自分らとは関係ないから無関心としているのはどうなのか。と訴えたかっただけなのではないでしょうか
>社会一貫として何か弊害がある方がたの生きづらい社会に、社会全体がもっと関心を寄せるべきではないか…と、つまるところブログ者様は書き込んでいるように思えます。
さきさんのご指摘の通りです。
学会には、脳細胞が死んでいく病気にかかった人や一家離散した人もいました。
そういった人が、比較的多かったように思います。
学会は、他の宗教と比べて団結力が強いので、社会的マイナリティーの駆け込み寺になりやすいように思います。
この記事は、フェミニストというカテゴラリーの中で書かれています。
女性は差別されてもいませんし、社会的マイナリティーでもありません。社会の多数派です。日本は、女尊男卑の国で、男性差別の方が問題になっています。
インターセックスや性同一性障害の人は、社会的マイナリティーであり、現実に差別されています。
実際に存在する差別を無視して、存在していない「女性差別」をねつ造し、女を優遇するフェミニストの偽善と利権拡大の陰謀を暴いていくことが、この記事の目的です。
インターセックスや性同一性障害の人が受ける差別は、実は優遇されているのに、差別されてると騒ぎたてる女性のそれなどとは比べ物になりません。
本当に差別されてる人は、放置し、差別されるどころか、優遇されてる人の利権をさらに拡大していることに矛盾を感じます。
本当に差別されている人は、社会の少数派であり、票にならないので放置ということでしょう。
インターセックスや性同一性障害、その他の社会的マイナリティーの問題は、本来は、社会の構成員全員が関心を持ち、社会問題として、かんがえていくべき問題なのです。